Sさんのアトリエ兼収蔵庫
神奈川県小田原市
15.90坪(室内)
2025年竣工

今回設計させていただいた建物は、ある画家のアト リエ兼収蔵庫。

私の事務所がある茅ヶ崎市や藤沢市界隈は、少々開発し尽されてしまった感がある。それとは異なり、この建物辺りは駅前なのだけれども、築数十年から百年近く経過した看板建築や、擬洋風建築などの歴史のある味わい深い建物が未だ多く存していて、歩いているだけで楽しい場所。
私が初めてその場所を訪れたのは、2024年の春。幹を大きくうねらせた松の木が迎えてくれた。南側は眼下に国道一号線と数件の建物があるだけで、その合間から海がキラキラと少し顔をのぞかせていた。

設計をさせていただくにあたり、建て主から取り分けて3つの要望いただいた。
1,絵をしまう収蔵庫がほしい
2,制作を行えるアトリエがほしい
3,作業の合間に、本をゆっくり読む事がで きるスペースがほしい
とのこと。
あとは基本的にお任せいただいた。
建て主は、湘南の自然の風景などを描いている画家である。普段から自然を見つめ、自然と共に生きている。だからこそ、今回建築することの意味を考えながら、あるべき姿や、使い方、必要なものや大きさなどを模索し、一緒に初期段階の検討を進めていった。


結果的に大切にしたことは、土地に馴染み、自然や街の風景をなるべく壊さない様に設計・建築すること。今になって振り返ってみると、これは私の中で設計する時にいつもやっていることで、基本的な考えとしている。裏を返せば、結局いつもの方法のこれしかできない。ということでもあるのかもしれない。

どんなプロセスで形作っていったのかを、少し振り返ってみる。
まずは、道路側のファサード。軒をしっかり出し、低く抑え、主張をしない様にした。ここらの地形は、海の海抜0メートルから線路向こうの裏にある山の麓までが概ね1/10の勾配であったので、屋根の勾配も地形と同じ1/10とした。つまり、海や道路側の屋根が低く、奥に向かって上がっていく片流れとしたのだ。その方が素直だし、稀に吹く強い海からの風にも抗わずに済む。
海側の一番天井が低い部屋は、本を読む読書室にした。その部屋では、初めて敷地を訪れた際に感じた、海や松の木が見えたら良いと思ったので、窓を設ける方向に気を付けた。ちなみに最寄りの気象台の情報によると、一番窓を開けたくなる5月のゴールデンウイーク頃に南東側から風が多く吹くらしいことがわかった。それもちょうど松の木と海が見える方向だった。
次に、アトリエとして作業する場所を建物の中間に設け、読書空間に比べて少し天井を一段高くした。これは大きなキャンバスや作品の取りまわしを考えてのことが大きな理由。加えて、作業に適する安定した北面からの採光は周辺の高い建物に阻まれ断念。代わりに潜水艇のように天井をボコッと屋根から突き出し、光が溜まるような場所を設け、その反射光を室内に届けるようにし、部屋全体が反射し合い、明るくなるように計画した。

最奥には収蔵庫。
そうして、敷地の奥に行くにつれ、屋根や天井が高くなるような建物となった。
他方、素材については、なるべく多くの自然素材を使いたいと思っていた。この建物のすぐ裏が駅なのだが、そういった店舗やビルが立ち並ぶことが想定される駅周辺は、建物が密集し、火災に対して強い街づくり、建物づくりをしなければならない。ここは準防火地域として定められていた。
まわりからの火災に対して気を使う必要があるのだが、特に窓も木製や職人に作ってもらう造作建具は、使う場所から隣地境界の最短距離が3m以上離せば 、防火仕様でない建具を使うことができるので、そういった配置の工夫を行った(1階の場合、2階は5メートル)。

一昔前の建物の中には、防火地域でも認定を受けていない木製建具を使用し、完了検査を受けることをせず現在人が住んでいる。ということがあったりした。というより、私は不動産仲介の仕事もしているが、そういう建物をいざ売る際に困ってしまうケースを山ほど目にしてきた。時代的に昨今はそういったことは、少なくなっているとは思うけれど。

設計上のちょっとした工夫で、上手に建物の質を上げることが出来たら良い。
今回も無事に検査機関の検査を終えて、引渡しを迎えることができた。

建て主からは、建物から海が見えるとは思わなかった。と喜んでいただけたようで、私もとても嬉しかった。

この建物は、絵をしまう為だけの建物ではない。
絵を見てもらうためだけの場所でもないし、作業するだけの場所でもない。
家とは違う建物なので、おおらかさを普段より意識して、建物を考えさせていただいた。
今回見学会を開催した際、アーティストの方もたくさん来てくださった。今後、画家である建て主のみならず、たくさんの方がこの建物を利用したり関わっていくかもしれない。
計画当初、建て主と建てる意味を考えたこの建物が、これから時間をかけて建てて良かった。と建て主のみならず、周辺の建物や人に思いが波及し、まちが少し良くなっていく手伝いができるのではないかと、とても楽しみにしている。
Photo ©️ Yoko Fujiwara